時間のつかいかた - モモ と ニーチェ - 近代の限界

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久々にインターネット。
仕事が終わってから結婚式間近の友人の家に乗り込みました。
まさかの豪華なおもてなしにニヤニヤ顔。
料理に夢中で写真を忘れるという大失態。

美味で楽しい時間でした(。^~^。)

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ネットもTVもしなくなった今、インテリアもかえて、
初心に戻る気持ちで、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読みました。

のんびり暮らす人びとに時間の節約の意識を与えていく灰色の紳士たち。
 毎日、毎日、ラジオもテレビも新聞も、時間のかからない新しい文明の利器のよさを強調し、ほめたたえました。こういう文明の利器こそ、人間が将来「ほんとうの生活」ができるようになるための時間のゆとりを生んでくれる、というのです。 P.92

初めて読んだのは10年ほど前の中学生のころのこと。
 そしてついには、大都会そのものの外見まで変わってきました。旧市街の家々はとりこわされて、よぶんなもののいっさいついていない新しい家がたちました。家をつくるにも、そこに住む人がくらしいいようにするなどという手間はかけません。そうすると、それぞれちがう家をつくらなくてはならないからです。どの家もぜんぶおなじにつくってしまうほうが、ずっと安上がりですし、時間も節約できます。
 大都会の北部には、広大な新住宅街ができあがりました。そこには、まるっきり見分けのつかない、おなじ形の高級住宅が、見わたすかぎりえんえんとつらなています。(中略)ここに住む人びとの生活もまた、これとおなじになりました。地平線までただ一直線にのびる生活! (P.95)

c0035116_23395210.jpgまるで現代そのものを描写したかのよう。

無機質な建物。
統一されたインテリア。

時間の節約そのはてに何が...?

ちなみにモモの描写は、ヘーゲルやニーチェの考える共同体の概念とも結びつきがあります。
ギリシアの悲劇の上演はただのエンターテイメントではなく、その円錐形の劇場で、俳優と観客の区別がなくなり、共同体の歴史の出来事として共有されてゆくことになっていきました。
ヘーゲルなどもギリシアの芸術がこのように人と人だけでなく、本来は対立的なものである人間と自然とを結びつけ、宥和させる力を持っていたことを、いくらか羨ましげに書いている。しかしその一方で彼は、近代社会においてはもはやそうした力を芸術に期待することは無理なことを百も承知していた。
  参考:三島憲一 『ニーチェ』 岩波新書、1987年、82頁。

そんなギリシア式劇場の廃墟で暮らすモモ。
真理と自由の追求の果てにあった近代の姿に苦悶するニーチェ。

どこに向かうべきなのか。

考えることが必要な時代。
「哲学なんて役に立たない」なんて、遥か昔のセリフ。
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by sizukugaotisou | 2011-04-30 00:00 | 日     々

Name. はるナ


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