パラドックス

c0035116_132997.jpg手書きがとてつもなくメンドクサイ。

手帳は文字だらけのくせに、清書は大の苦手。
集中力が続かないんです。

自分の部屋が再びできてから一人暮らし願望が薄れてきました。
(3.5畳という驚きの狭さを誇る屋根裏部屋ですが)
結局のところ私がしたかったのは、
朝起きて気をつかわずベッドメイキングをして、
時間を気にせず読書ができて、
気軽に床拭きもできて、花を飾ってインテリアを楽しむ。
そんな些細なことだったのだと気づかされました。

理性では、
しっかりと自立するべき とか、
このままだと、ずっとパラサイトシングルのままだ とか、
色々考えるけれど、結局のところ私は自己本位の生活がしたいだけ?


母はというと
「一人暮らしはいいけど、奨学金かえしてからにしーや」とか、「もったいない」と言うわけです。
母の意見は
「イザ何かあったとき、誰も支えられへんし、自分で支えるしかないんだから、
しっかりと貯金して安定してからにしなさい」とのこと。
一緒に暮らしている母の貯金通帳は眩暈が起きそうな数字であるのは、
ずっと前から変わらないこと。
貯金できないのは昔からだもんねー。
そのうえ今はそんな状況でもないし。


高校は奨学金+バイト。
大学はバイトで学費をまかなって、バイト先の子には、
「そこまでして何で学校に行こうと思うん?」と聞かれて返答に困っちゃいました。
知の探求? そんなカッコいいものなんだろうか。
中学校もまともに行っていない故のコンプレックス?
「アタシやったら高校も行かへんか中退してるわ」と言われ、
私はやっぱり線路から外れつつも、線路から遠のいていく勇気がないだけなのかも。


「お母さんは出来ひんかったから、あんたには自由に生きてほしいと思うねん」
と言いながらも、(見せないようにはしているけれど)寂しそうな母。
自由すぎて迷う。
自由だからこそ責任は全て自分。
自由だから。
自由は不自由というパラドックスはこういうことなのだろうか。

今日という1日にしなければならないことなんて欠片もない。
勉強だって仕事だって自ら選択していることであって、義務の片鱗すら見当たらない生活。
本当に幸せで、幸せだからこそ変化がこわくもある。

記憶を一部失っているツラい時期や、
鬱病で死ばかり巡っていた苦しいことがあったからこそ感じる幸せ。

結婚式で「幸せになってね」「幸せにする」という台詞はおかしなもので、
幸せはそこにあるのであって、そこに幸せを見出す人が幸せで、
幸せというのは『なる』ものじゃないと気づいたのは、苦しみのハードルを越えられたから?
「いってらっしゃい」の声の幸せ。
「お疲れさま!」と言い合える幸せ。
シャワーの使えない家に住んだことがあるからこそ、シャワーのありがたみも分かる。
ジメジメとした部屋を知っているからこそ、日当たりにいい部屋に感謝する。
制服も買えない貧乏も味わったからこそ、今の環境がとんでもなく恵まれていることを知る。

ふと窓の外を見ると、まあるい月があった。
「兎がおるね」という私に「ほんまやね」という母。
また一緒に暮らしだして、もうすぐで4年。
5年の空白は、私自身にもあらゆる変化をもたらした。

未来の私は『今』を振り返って「大変だったけれど幸せだった」と感じられるだろうし、
『今』が二度とは戻ってこない貴重な瞬間であることも分かっている。

もう少しのあいだ、この瞬間を味わっておきたいと考える私と
いつまで甘ったれているの! と叱咤する私。

結局、不自由を生んでいるのは私自身。
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by sizukugaotisou | 2008-02-20 02:20 | 日     々

Name. はるナ


by sizukugaotisou